「生涯青春」継続中(^_^) vol.15

2025年、猛暑の7月になりましたね。私の子供の頃は、プールで唇が寒くて紫色になったものです。
さて、7月は旧暦では「文月」と言います。調べてみると、やはり諸説ありました。
稲の実が実る月(穂含月・・ほふむづき)が変化して文月に。昔、七夕に書物を干す行事があり書物=文をひらくということから(文披月・・ふみひろげつき)それが「文月・・ふみづき」に変わっていったという説です。

 

旧暦では7月下旬から9月上旬とのことですから、穂含月というのは、成る程感を感じました。もう一つの「文披月・・ふみひろげつき」も使われている漢字から成る程感を持ちましたが、いつも「そこから変わったの?変わりすぎてないか?ほんとかいな?」と思っておりました。

最近、三谷幸喜さんの記事を読んで、長年の、この言葉の変化の疑問が消えました。
このような言葉の変化を「音位転倒」「音位転換」と言うようです。長い年月のうちに、言葉の並びが入れ替わってしまう現象です。こう言う現象は、その変異の過程にいた訳ではないので、私には納得できていませんでした。ところが、三谷さんエッセイを読んで変異の過程の中の言葉をいくつか知って大いに納得しました。

 

例、「新しい・・あたらしい」しかし本来は「装いも新たに・・あらたに」「あたらしいではなく、あらたらしい」だったのだ。更に、三谷幸喜さんの雑文にはこう綴られていました。「あらたらしい・・・・・・」だと「荒々しい」とか「腹立たしい」を連想してしまいかね無いから音位転換を起こして「あたらしい」が定着した。そしてもっと分かり易いのが「舌鼓・・した・づつみ」本来は「した・つづみ・・・」今まで疑問に感じてこなかったけど字を見れば、確かに「した・つづみ」であると。こうした音の変異を目の当たりにすると、旧暦の元からの転換に成る程なぁとガッテン!した次第です。

 

夏の北海道撮影に行ってきました。来年のカレンダーは今大人気の「シマエナガ」の卓上カレンダーを作りました。まもなく見本が各営業所に届くと思います。

 

6月はいろんな動物の子供たちがお母さんと一緒に好奇心いっぱいの顔で近づいてきました。