弥生3月は・・・おひな様
「光陰矢の如し 少年老い易く学成り難し」・・・本当だったんですね(^_-)-☆
若い頃、私には理解できませんでしたねぇ。また、年齢は人生の速度計とも謂われています。
年齢と伴に、人生の速度は加速していきます。これは事実です!!私の経験から保証します。
そして早、今年の弥生3月も終わりそうです。2017年の四分の一が終了です。
まだ、朝夕は凛と冷えた空気に包まれ、日中は暖かな日が差す弥生3月はおひな様で始まります。
その由来を調べてみました。
大きく分けて二つのルーツがあるようです。
■人形(ひとがた)による、身代り信仰
ひとつは、身代り信仰です。古代より、人形が人間の身代わりに厄を引き受けてくれると考えられてきました。この場合、「人形」と書いて「ひとがた」といいます。上巳の節句(ひな祭りのルーツ)は、上巳の日(のちに3月3日となる)に厄を祓って幸せを願う行事ですから、草、わら、紙などでこしらえた人形に自分の穢れを移し、川や海に流して厄祓いをしていました。今でもみられる「流しびな」は、この名残です。また、木や布で作った人形を子供の魔よけにする風習もあり、人の厄を祓うために人形が重要な役目を果たしてきました
■人形(にんぎょう)による、ひな遊び
もうひとつは、ひな遊びです。平安時代に、貴族の子供達の間で紙の人形でおままごとをする「雛遊び」が盛んになりました。「雛」は大きなものを小さくする、小さくてかわいらしいものという意味です。人形と身の回りの小物でおままごとをするのは、今も昔も変わらぬ人気の遊びなのですね。これらが結びつき、人の厄を受ける男女一対の紙製立雛が誕生しました。これが、いわゆる「ひな人形」の原型です。やがて人形作りの技術が発展し、立派なひな人形ができてくると、ひな人形は流すものから飾るものへと変化していきました。また、上流階級では、嫁入り道具に豪華なひな人形を持たせるようになり、婚礼の様子や婚礼道具を模したものが好まれるようになりました。
名古屋に有松という町があります。旧東海道の街並みが息づいています。絞り染めで有名でもあります。その有松でちょっと変わったひな祭りが行われていました。
町に飛び出したひな達(^_-)-☆